20040415句(前日までの二句を含む)

April 1542004

 鞦韆は垂れ罠はいま狭められ

                           藤田湘子

語は「鞦韆(しゅうせん)」で春。「ぶらんこ」のこと。古く中国から入ってきた遊具で、元来は大人のものだったという。句のそれは、現代の公園などに設置された子供用だ。うららかな春の日の昼下りだろう。誰も乗っていない鞦韆が、静かに垂れ下がっている。子供たちが学校に行っている時間に、よく見かける光景だ。静謐で平和な時間が流れている。と、ここまでは実景であるが、いきなり出てきた「罠(わな)」以降は作者のいわば心象風景だ。作者の身に、眼前の平和な情景にそぐわない、何か切迫した事情でもあったのか。それとも、あまりに平穏な光景ゆえに、かえって漠然たる不安の感情が頭をもたげたのでもあろうか。おのれ自身を、あるいは他の誰かを陥れるための「罠」が、公園のどこかに仕掛けられているような気分になってしまった。しかも、その罠が「いま」じわりと「狭められ」たような気分に……。同じ時期の句に「山吹やこの世にありて男の身」が見られるので、一家の主人たる作者の暮らしに関わっての不安材料や不安条件を、象徴的に「罠」と詠んだのかもしれない。そんなふうに作者の不安の根を忖度すると、鞦韆というまことにおおらかな遊具と、罠というまことに不気味な仕掛けとの一見突飛とも思える取り合わせが、実によく無理なく効いてくる。しかもそのうちに、作者の不安は読者のそれに乗り変わるようにも感じられてきて、いつしかうららかな春の日の公園風景が陰画と化していくようでもある。さながらボディブローを効果的に打ち込まれたように、時間の経過とともに心の重さが増してくる句だ。『一個』(1984)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます